リレーエッセイ「私の育自」

「こんなにスヌーピーが好きなのに、何で我慢していたんだろ?」

★「変わってない人って誰でしょう?」
子供の頃から「あずみちゃんって変わってるね」「面白いね」とよく言われてきました。
褒め言葉であったり、その人なりの違和感の表現であったり、もしかしたら嫌味であったり。
でも受け止める方の私が感じることはいつも同じ。

「え?みんな違う人間なんだから、変わってて当たり前じゃない?(逆に同じ人間なんているの?)」

大人になって、周りが大分”変わってる人”たちばかりになってきたせいなのか(笑)、最近はそんな風に言われることが少なくなったのですが、久々友達の友達(で、私はオンラインでかすかにすれ違った程度で記憶にない)が

「あー、あずみさんってあの変わってる人ね!」

と言っていたと聞いて、

「オンラインですれ違った程度で”変わった人”って言われるって、どんだけのインパクトやねん!」
と笑ってしまいました。

私から見たら、世界のどこにも同じ人はいなくて、みんな違っていて、みんなそれぞれに輝いているんやけど。私にとって「育自」とは、そんな自分をあるがまま、○っと受け止めること。
自己受容っていってしまえばそうなんだけれど、

「そうそう、それが私で、それでOK」

そんな世界を作ること。

ただ、それは蝶々が飛んでいるお花畑のユートピアみたいな世界じゃないと思っている。
耳障りは良いし、美しいけど。

周りに合わせるのではなく、本当にみんなが自分のあるがままに生きたら、理解しあえないこともたくさんで出てくるし、それこそ「(あの人)変わってる」という、違いが浮き彫りになってくる。

それでも全ての人が、自分が自分であることを慈しみ、尊重する、というところに立てたら、「では目の前にいるあなたは?」
と理解し、尊重することができるんじゃないかな。

★「こんなにスヌーピーが好きなのに、何で我慢していたんだろ?」
スヌーピーが好きなんです。

初めて育自のための小さな魔法パート2に出た時、「好きなもの?何だろう?」って全然思いつかなかった自分を思い出す。
でも、何回か受けて、自分がパート2をファシリテートした時

「私、スヌーピーが好きなんだ!!」

と突如気づきました。
なぜなら、誰も私ほどスヌーピーが好きでなかったから(笑)。好きに理由はいらないし(もちろんあってもいいけど)、何で好きなのかもよくわからない。
でも、とにかく好き。それでいいんだって。

パート2について語る時、ひとみさんが
「好きを”わがまま”だと思って封じ込めてしまっている人がいる」
と言っていたのを聞いた時、まさにそうだ!と。

こんなにスヌーピーが好きなのに、何で我慢していたんだろう?

それ以来、我が家はスヌーピーだらけです。
そして、友人みんなにもスヌーピー好きが行き渡り、プレゼントでもスヌーピーグッズがたくさんもらえるようになりました(笑)。

いい事づくし!

自分が「スヌーピーが好きだ!」と気づけたのも、「他の人はそんなに好きじゃないんだ」という”違い”に気づけたから。

お互いがあるがままでいる時、そしてそのそれぞれの違いをお互いが鏡のように写しあった時、初めて自分自身の輪郭がくっきり見えて、自分がどんな姿をしているのか見えるんじゃないかな?

育自って、それを毎日、いつでもずっと、続けていくことだったりするのかもしれない。